大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

浦和地方裁判所 昭和29年(行モ)1号 決定

被申立人が昭和二十九年三月二十日申立人に対して為した健康保険並びに船員保険の保険医指定取消処分は、本案判決確定に至る迄その効力の発生を停止する。

三、理  由

本件申立の要旨は、

申立人は昭和二十五年十二月十五日健康保険並びに船員保険の各保険医の指定を受け現在に及んだものであるが、被申立人は昭和二十九年三月二十日、申立人に対して前記各保険医指定の取消処分を為し以て指定医の資格を喪失せしめた。その理由は、申立人は国立王子病院に第三内科長兼公衆衛生科長として勤務する国家公務員であるから、右指定を受けるに際し国家公務員法第百四条による所属の長の許可を要するにかかわらず、右許可のないままに保険医として指定したことは誤りであるからその指定を取消すというのである。

然しながら右処分は次の事由により違法であるから無効又は取消さるべきものである。即ち健康保険並びに船員保険医(以下保険医と略称する)指定取消処分が法規裁量に属することは、健康保険法第四十三条の四第三項、船員保険法第二十八条の四第三項の規定によれば保険医がそれぞれ厚生大臣の定める規定(昭和二十五年厚生省告示第二三九号健康保険保険医療養担当規程、同年告示第二七六号船員保険保険医療養担当規程)に違反し、其の結果保険医が療養を担当する責務を怠つた時は、都道府県知事は指定の取消処分を行うことができると規定し、療養の責務を怠つた場合のみを指定取消原因として法定していることから見て明らかである。しかるに右取消処分は申立人が右指定を受けるに際し、国家公務員法第百四条に違反して所轄庁の長の許可を受けた事実がないのに保険医として指定したことが誤りであるという理由に基ずくことは前述の通りである。従つて右の理由を以てはその法定の取消原因である療養の責務に違反したと云い得ないことは多言を要しないから、被申立人の処分は法の適用を誤つた無効の処分という他はない。

仮令健康保険法等の解釈として療養の担当責務違反の他に保険医指定の取消原因があり得るとしても申立人は被申立人の主張する国家公務員法第百四条にいう報酬を得ていない。即ち申立人は形式上社会保険診療報酬支払基金法第一条に定める診療担当者として診療報酬を請求していたが、右は申立人肩書地に所在する医療法人朝倉記念埼玉病院の理事長としての所為であつて申立人個人は右病院から何等報酬を得ていない。同条にいう報酬とは自己の所得となるものを指することは法案の趣旨から明白であるからこの点から言つても本件は前記同様無効の処分というべきである。

更に申立人は保険医指定方申請に対し所轄庁の長の許可を受けなかつたことは認めるが厚生省令第三十二号に従つて申請書に添付した履歴書には、

一、昭和二十二年十月一日 国立療養所外科入局

一、同 二十三年十月一日 国立王子病院外科ニ転任

一、同 二十四年二月九日 同院第三内科長兼公衆衛生科長ヲ任命サル

現在ニ至ル

と申立人が公務員であることを一見直ちに認識し得る履歴を記載しているのであるから、申立人が初めから身分を偽り且許可を得た如く装つたものでもないし、その後指定取消処分を受ける迄は、所轄庁の長の許可の有無、又は許可を受けられない事情にあるかどうか並びに指定医として専念するために国家公務員の地位を退く意思の有無等の点につき、被申立人より一度も審尋を受けていないのであるから申立人としては殊更ら許可を受けないで申請の瑕疵を追完することを怠つて来たものでもない。而かも申立人は昭和二十九年三月十九日被申立人に対し、書留内容証明郵便を以て同月十六日付で国家公務員の退職届を提出したから、早晩公務員の地位を退く旨通知し指定取消の措置に出ないよう上申したのである。にもかかわらず被申立人はこれ等の事情を斟酌することなく敢えて取消処分の措置に出たものであつて、これは申立人に対し苛酷に過ぎる制裁であり、法規裁量の範囲を極度に逸脱した違法な処分であるから取消さるべきことは当然である。

申立人は前述の保険医の指定を受けるに先立ち昭和二十五年十一月五日申立人の肩書地に所在する朝倉記念埼玉病院を開設し同二十七年四月十九日からは同病院が医療法人となつたのでその理事長の地位に就き現在に至つたものであるが、右病院は開設以来申立人及びその一族の私財一千二百万円余を投じ、現在敷地八千坪、建坪約千坪、許可病床百四十四、未許可病床九十の設備を施し、医師八名(常勤五名非常勤三名)看護婦十八名(見習看護婦九名を含む)及びその他の職員を含めて計約五十名の職員を擁し、入院患者は百五十八名に達している。うち健康保険法による患者は五十五名其の余の大部分は生活保護法の適用を受ける患者である。従つて指定取消処分の執行が停止されないと申立人は現に入院中の健康保険法による患者は勿論、将来もこの種社会保障関係の患者の診療に全く従事出来ないこととなり、このまま本案判決の確定を俟つてはその間に申立人としてはその信用の失墜と共に到底回復出来ない損害を蒙ることは極めて明白であり今直ちにこれを差止める逼迫した事情にあるので本件保険医指定取消処分の執行を停止する旨の決定を求めるというにある。

思うに被申立人の為した本件保険医指定取消処分が違法であるとの申立人の主張の当否は本案訴訟において終局的に判断せられる事項であるが、当事者双方から提出された総ての疎明書類によると申立人は昭和二十五年以来その肩書地において朝倉記念埼玉病院を開設し同病院は昭和二十七年四月医療法人になつたもので申立人は現にその理事長として右病院の経営の任に当つているものであること、右病院は開設以来申立人及びその一族が私財を投じて設備を拡充して来て現在申立人主張のような経営状況になつていること、右病院の位置、設備等の事情から従来同病院を利用する者は長期療養を要する結核の入院患者で健康保険法並びに生活保険法関係の者が殆ど全部であること及び右病院に勤務する医師は申立人が保険医の指定を受けた外他は皆非保険医であることが窺われ、又保険医の指定取消のような行政処置はその表面の理由如何にかかわらず直ちに一般患者に対しその取消を受けた者の医師としての人格並びに技倆に対する疑惑を懐かしめることになることは当然推測できることであるから指定取消のまま推移することによつて申立人は医師として又病院経営者としての社会的信用を失墜すること夥しく、このことは被申立人の意見の如く単に将来申立人が健康保険法による患者の診療のみが行えなくなることによる多少の財産的損害を蒙るに過ぎないとは簡単に言えないことであつて結局右病院が事実上閉鎖に立至るようなことになることも充分考えられることである。従つて既に医師としての他の公職を辞退した申立人がその開設者、且現にその理事者として病院が右のような状態に遭遇することは物質的にも精神的にも極めて重大な回復することの困難な損害を蒙るものと言い得られるのであつて、このような場合は行政事件訴訟特例法第十条第二項にいわゆる処分の執行に因り生ずべき償うことのできない損害を避けるため緊急の必要がある場合に該当するものと解するのが相当である。而して又本件保険医指定取消の処置に出た被申立人の意見に徴するとその取消の表面の事由は申立人主張通りであるが、他の実質的な事由としては被申立人において昭和二十八年度社会保険医療養担当者監査を行つた結果申立人は正規の診療録を使用せずその整備記載が不備であつたり埼玉県北葛飾郡南桜井村居住の国、保の患者に係る診療について七日分の診療報酬を全額本人から徴収した外二、三の不正不当の診療報酬の請求をしていた事実や被申立人が本件指定取消の表面の事由にしているような事実が判明したので被申立人は健康保険法第四十三条の五、船員保険法第二十八条の四に基き埼玉県地方社会保険医療協議会に対し右不正不当の診療報酬請求の点のみを事由にした指定取消の件を諮問したところ、同協議会は唯申立人が国家公務員でありながら所轄庁の長の許可を受けずにその事実を偽つて保険医の指定を受けたことは適当でなく県としても申立人を保険医に指定したことは誤りであるから県において措置するのが妥当であるというだけの答申が為され、被申立人の諮問案そのものに対しては意見が差控えられたことが窺われるから、このことの理由が奈辺にあるかは兎も角としてその点から見て申立人に保険医としてその指定を取消さるるに値するような療養担当上甚しい非違があつたかどうかは現段階においては頻る疑わしいと言わなければならない。本件保険医指定取消の表面の理由になつている国家公務員法違反の点については指定取消の告示以前既に申立人は国家公務員の退職願を関係筋に提出していることは被申立人の認めるところであるのみならず、被申立人も申立人に対しては以上の外医師としての能力、医師としての診療取扱状況そのものについては別に批難を加えているわけではない。かような事情であるから本件においては指定取消処分の執行を停止してもこのことによつて直ちに公共の福祉に重大な影響を及ぼす虞があるとも考えられない。従つて本件申立は理由あるものと認め、行政事件訴訟特例法第十条を適用して主文の通り決定する。

(裁判官 大中俊夫 岡岩雄 宮田静江)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!